最後に残った樽屋
京都・伏見。「伏水」と呼ばれる良質な地下水に恵まれ、豊臣秀吉の時代に水運が整備されたことから日本有数の酒どころとして繁栄してきた。この地に本社を構えるのが、洋樽メーカーの有明産業だ。
日本酒の本場になぜ洋樽メーカーが? そんな疑問は、小田原さんの話を聞いてすぐに腑に落ちた。
「鹿児島から祖父が京都に出てきて、有明産業を創業したのがいまから63年前(1963年)のことです。当時はさまざまな事業を手がけていましたが、そのひとつが日本酒の一升瓶を入れる木箱の製造販売でした。
伏見界隈や遠くは兵庫県・灘の日本酒メーカーさんに木箱を卸していたのですが、そのうち木箱がプラスチックの箱に切り替わり、有明産業の事業は酒造会社への業務請負業、物流事業および人材派遣業務にシフトしていきました」(小田原氏)

祖父が始めた事業は軌道に乗った。多い時で20億円以上の売上があり、アルバイトを含めると1,000人を超える従業員が働いていた。
そんな折、のちに有明産業の転機となる話が舞い込む。取引があった大手酒類メーカーとの協業がきっかけだった。
「そのメーカーさんは宮崎県に焼酎の基幹工場を持っており、当時焼酎を熟成するための樽を多く保有されていました。しかし九州には製樽工場がなく、樽のリユース※に困っていた。そこで、近くに工場があったほうがいいという話になりました」(小田原氏)
※樽のリユース:熟成に数回使用した樽は、内面を削り、さらに熱処理することによって熟成機能を約60〜80%まで取り戻すことができる
日本酒の木箱をはじめ、木材を扱っていた小田原さんの祖父にはノウハウがあった。1984年、有明産業は近隣の都農町に誘致され、製樽工場を建設。これが製樽事業の始まりだった。
「都農町はブドウの産地でもあったので、町といっしょに都農ワイナリーも立ち上げることになりました。ですが、製樽事業のほうはなかなかうまくいきませんでした」(小田原氏)
1980年代後半からウイスキー人気が低迷し、大手のウイスキーメーカーでは樽製造の内製化が進み外注がピタリとやんだ。有明産業をはじめとした独立系の樽製造メーカーは焼酎に使われる樽に需要を求め、価格競争に陥っていった。

「同業他社さんは『もう商売にならない』と事業を閉じたり、業種転換をされていきました。そういった背景のなか、私たちが最後の独立系洋樽メーカーとしてなんとか生き延びてきました」(小田原氏)
樽の需要が下がる中、追い打ちをかけたのが2004年の派遣法改正、2008年のリーマンショックだった。主力の業務請負業、物流事業が立ちいかなくなり、売上は全盛期に比べ1/10(約2億円)になった。
一時は廃業も考えたが、運よく会社を存続することができ、有明産業は樽事業を主軸に事業の立て直しをはかっていく。暗い話ばかりではなかった。2008年から国産ウイスキーの人気が高まり、樽の需要が出てくるようになった。2014年にはNHK連続テレビ小説「マッサン」が放送され、高い視聴率を記録した。しかし......
「日本でウイスキーブームが起こる2年ほど前から、海外でもウイスキー人気が過熱していました。また、リーマンショックのあおりを受け、多くの樽製材会社が廃業に追い込まれた。その結果、海外から樽や樽の材料となる木材が日本に入って来なくなっていました」(小田原氏)
父から「会社を譲る」と告げられたのは、再び会社の存続の危機が訪れたこの頃。2014年、小田原さんは4代目の代表取締役に就任することになる。厳しい経営状況のなか、胸に秘めていたのは「もう一度、樽事業に賭けてみよう」という想いだった。

日本の木で、樽をつくる
しかし、材料がなければ樽はつくれないし、納品もできない。そこで、小田原さんは決心した。「日本の木を使って樽をつくろう」と。
「ところが、酒造メーカーの担当者から『それは困る』と言われてしまいました。その理由は、『味わいが変わる』から。それまで私たちは、樽をつくること、納めることだけを考えていました。日本の木でつくろうと考えたのも、アメリカから木が入ってこないからという安易な気持ちだった。しかし、『味が変わるから』と言われて気がつきました。私たちは樽ではなく、お酒の味わいを提供していたということに」(小田原氏)
そこで小田原さんは、日本の木の樽を通してジャパニーズテイストな酒の味わいを提供する会社を目指そうと考えた。
「以前、海外の蒸溜所のマスターブレンダーにお会いした時に、『ウイスキーは樽の良し悪しで味が決まる。とても重要なアイテムなんだ』と言われたことを思い出したのです」(小田原氏)

「日本の木の樽で、新たなウイスキーを商品開発してみてはどうでしょうか」。小田原さんは酒造メーカーに提案して回った。しかし、当初の反応は決してよくなかった。
有明産業には樽の知識はあっても酒の知識は蓄積されていない。メーカー側も、酒の専門家だが樽の専門家ではない。「失敗したらどうする?」「失敗するかもしれないがどうにかならないか」。堂々巡りが続いた。
「らちが明かなかったので、自分たちから動き始めました。サクラ、クリ、ミズナラで樽をつくり、つきあいのあった焼酎メーカーさんに依頼し、有明産業のブランド(Tarusky)としてそれぞれの樽でお酒をつくってもらったのです。樽によって6〜7割も味わいが変わるということを伝えるために。
地道な提案を続けていくうちに、新しい樽を使ったお酒造りや商品開発のお手伝いが少しずつできていくようになり、事業が軌道に乗り始めました」(小田原氏)

ウイスキー人気を背景に有明産業の樽づくりの理解者は順調に増え、2025年3月期には売上が15.7億円に達した。しかし、その過程で新たな課題も浮かび上がった。
このまま事業が成長していけば、いつか樽を安定供給できなくなる。
そこで宮崎に次ぐ第2の樽工場を、北海道の旭川に新設することを決断した。それだけではない。小田原さんは数年前から、麦芽の国内生産も視野に入れている。
「先ほど樽で6〜7割の味わいが決まると言いましたが、じゃあ残りの3〜4割はどうなのか。樽の提案だけじゃなく、原料やお酒造りのサポートをしていく必要があるのではないかと考えました。
というのも、ウイスキーづくりの原料となる麦芽は99%が海外産です。海外の麦芽工場で火災が起こった際やロシアのウクライナ侵攻時は麦芽の輸入が不安定となり、『麦芽がないので樽の納品を延期してくれないか』というメーカーからの相談もありました」(小田原氏)

ジャパニーズウイスキーやスコッチウイスキーは、原則として3年以上の熟成が求められる。今年つくっても出荷できるのは3年後、キャッシュフローの悪いビジネスモデルだ。メーカーや商社のなかには、海外から3年以上熟成させたウイスキーを輸入し、日本で樽詰めし直して販売するところもある。
「私たちはそうではなく、樽も麦芽も安定供給できる体制をつくって、お客様に安心してお酒造りをしてもらいたいと考えました。ですが正直な話、売上が15億の会社にどこまで理想の環境がつくれるのか、どこまでお客様をサポートできるのか。絵に描いた餅でしかありませんでした(笑)」(小田原氏)
そんな折、中小企業庁による「100億宣言」プロジェクトと、それに紐づいた「成長加速化補助金」が発表された。旭川の工場建設は、今後の稼働を見据えすでに動き始めていた。しかし、麦芽事業は資金面で目処が立っていない。それが、「100億宣言」の「成長加速化補助金」に採択されたら一気に現実味を帯びてくる。小田原さんに、宣言しないという選択肢はなかった。

「100億宣言」への道のり──北海道に樽と麦芽の拠点を
「100億宣言」をし、「成長加速化補助金」に採択されるためには、綿密な事業計画を立案する必要がある。小田原さんは旭川工場の新設と麦芽事業の立ち上げを柱に、2035年に売上100億円を達成するという目標を掲げ、成長するための課題と成長手段をひとつひとつ確認していった。
「旭川の樽工場では北海道と東北産のミズナラをメインに、旭川の製材会社さんと協力して樽を生産する体制を整えました。ただ、課題もあります。それは、ミズナラが樽材として使えるようになるまでは80〜100年もかかるということ。それでは安定供給が成り立ちません。そこでいま、植林までを視野に入れた環境づくりを考えています。
将来的に、ジャパニーズウイスキーは樽まで日本の木でつくられていることが必ず重要になってくる。そのために、植林をして循環型の森をつくる。そうしなければ、ひ孫くらいの世代が日本の木で樽をつくることができなくなってしまいます。『ひいおじいちゃんたちがミズナラを全部伐ったから日本で樽がつくれへんやん!』と言われることがないように(笑)」(小田原氏)

麦芽事業についても課題が見え始めていた。「100億宣言」に先立って、第2の樽工場を建設する旭川のJAの協力の下、大麦の実験栽培を行っていたのだ。
「2025年は試験栽培で約20トンを収穫しました。実際に大麦を栽培してみて初めてわかったのですが、大麦の生産には高いハードルがありました。収穫してから6時間以内に乾燥させなければいけないのです。つまり、その地域に乾燥施設がなければつくることができない。また、ある程度の量を生産できなければコストもかさんでしまいます」(小田原氏)
だが、旭川のJAは協力的だった。新しい取り組みとして、大麦の生産にメリットを見出してくれた。樽工場を建設する旭川で大麦を安定供給できる見込みが立ち、小田原さんは樽工場に麦芽工場を併設することを「100億宣言」の事業計画に盛り込んだ。そして、高い倍率をクリアし、見事に「成長加速化補助金」に採択されることになった。
- 樽の生産数増強・生産性向上
- 中国、インドの台頭による原料・原酒・樽の獲得競争の激化
- 原材料費、物流費、人件費の高騰による価格転嫁
- 国産木材(ミズナラなど)や国産大麦の安定調達
- 海外パートナーとの連携強化(中古樽や木材、原料など)
- 蒸溜所を総合的に支援するための専門性強化

- 国産広葉樹の一大産地である北海道(旭川)に第2の樽工場を建設し、付加価値の高い国産樽の安定共有を可能にする
- 持続可能な国産木材の調達の仕組みを地域の企業と連携しながら構築していく
- 麦芽工場を北海道に建設し、顧客(蒸溜所)が国産資源を生かした純国産ジャパニーズウイスキーを造る基盤をつくる
- 海外の仕入れ先や販路を強化する(海外木材関連・樽製造会社などのM&A)

- 新工場をマネジメントする工場長を新たに採用
- 職人の採用と育成(既存の工場での研修など、育成プログラムを開発、実施する)
- 麦芽の製造ノウハウを持った国内外の専門家に工場の設計や稼働後のオペレーションの指導を委託
- 旭川周辺の木材加工業者と木材調達において連携
- 地域の農家や農協と大麦の契約栽培を締結
- 海外交渉ができる人材の採用と育成
「100億宣言」で起こった変革
「100億宣言」は、有明産業に変化をもたらした。取引先から「有明さんの『100億宣言』、見たよ。私たちにも協力できることがあれば言ってね」と声をかけられるようになり、社員のモチベーションも向上した。
そしてなにより、「成長加速化補助金」は有明産業が5年後、10年後に見据えていた設備投資を即実行に移す原動力となった。
「いま、資材が高騰し建築費がべらぼうに高くなっているのです。想定の1.5倍はいっています。補助金がなければ樽工場の規模は縮小していたでしょうし、麦芽工場はつくれなかったかもしれません」(小田原氏)

新たな組織づくりも加速している。
「よく言われるのが、売上が10億を超えたら社長のワンマンでは会社がうまく回らなくなるということです。自分でもわかっていたつもりですが、まだ依存度が高かったり属人的な部分があったりする。私もそうですし、部下もそうです」(小田原氏)
社員全員で、これからの組織について考えなければいけない。有明産業はいま、組織変革の真っ最中にある。地域との共創も順調だ。樽工場と麦芽工場を建設する旭川との連携はもちろん、北海道庁、北海道銀行などとのコミュニケーションも活発になってきた。
「なにより印象に残っているのは、大麦の実験栽培に協力していただいた旭川の農家さんの言葉です。『なぜ協力してくれるのですか?』と聞いたら、『普段は小麦やほかの作物をつくっているんだけど、麺やパンになったら形に残らない。でも、ウチがつくった大麦が麦芽になって、ウイスキーになったら形に残るじゃないか。15年後、俺が育てた大麦で熟成されたウイスキーを、二十歳になった孫と飲むのが夢なんだ』と」(小田原氏)

小田原さんの、そして有明産業の夢はもはや自分たちだけのものではなくなった。農業、林業、協力してくれる人たちのため、2035年に定めた売上100億円達成のため、やるべきことはたくさんある。
「工場が完成したら、そこで働いてくれる社員を増やさなければいけない。新たに樽づくりの職人を育成しなければいけませんし、麦芽製造のノウハウを持った人材も不可欠です。社員たちの賃上げも実現しなければいけません。また、日本全国にある蒸溜所へ樽を運ぶため物流にも投資する必要があります。
『100億宣言』をしてわかったことは、実際に戦略を立てて動き出すことで、次々と課題やマイルストーンが見つかるということ。これは漠然と成長を口にするだけ、無難に経営を続けているだけでは、見えてこないものだと思います」(小田原氏)
有明産業には、4年で売上が1/10になった苦い経験がある。立ち止まったり気を抜いたりしてしまうと淘汰される。その危機感があることは間違いない。ただ、100億企業を目指す小田原さんの原動力はそれだけではない。
「有明産業のビジネスは、モノをつくって売ることだけじゃない。課題を解決するからこそ、時代に必要とされる。その上で、酒造業界だけじゃなく、地域にも農業にも林業にも、日本の酒文化にも貢献していく。『有明さんがいてくれてよかった』。そう言ってもらえるような、夢のある仕事を続けていけたらと思っています」(小田原氏)。
撮影:福田磨弥
デザイン:久須美はるな
編集・執筆:増田謙治