洗練されたデザインと世界観をまとった割れないうつわ「ARAS(エイラス)」。これが、石川県加賀市で1947年に山中漆器の木地師として創業した老舗企業から生まれたと聞くと、意外に思えるかもしれません。
「ARAS」を手がける石川樹脂工業株式会社は、漆器の木地販売から事業を始め、時代の変革とともに変化を続け、今日では樹脂成形のスペシャリストとしてものづくりに向き合ってきた企業です。同社はいま、自社ブランド「ARAS」を軸に事業構造の転換を進め、2024年9月期には売上高22億円を達成。2030年の年商100億円達成に向け、新たな成長ステージを見据えた取り組みを進めています。
価格を決められない現実から、抜け出すために
「技術に見合った価格で買い取ってもらえない。付加価値のあるものを作っても、その分を価格に反映できない。当初約束されたロット数の注文も来ない」
こう語るのは、会長の石川章氏(以下、石川会長)。20歳でこの道に入り、長年「下請け」としてものづくりに向き合ってきた石川会長。その言葉の背景には、現実の厳しさがあります。
どれほど優れた技術を持っていても、自社にとって不利な条件を受け入れざるを得なかった日々もありました。
「どこかでこの枠を取り払わない限り、会社の成長はない。自社の価値をしっかり理解してもらうことで、成長へと繋がる」
その想いを、石川会長は長く抱え続けてきました。
転機が訪れたのは、2016年頃です。世界的消費財メーカーで経験を積んだ三男の石川勤氏が、家業に戻ってきました。大手顧客を次々と獲得し、社内の信頼を築いていきます。
そして2020年2月、コロナ禍という逆境の中で産声をあげたのが、後に同社の運命を大きく変えることとなる食器ブランド「ARAS」でした。

100億宣言と、世代交代への覚悟
100億宣言への参加を決めたのは、専務の勤氏でした。
石川会長はこの宣言によって「会社が大きく変わる、そして成長志向に変わっていく」という雰囲気を、若い社員を中心にはっきり感じたといいます。一方で、その判断については、相談は受けながらも、自らは口出しをすることはなかったそうです。
その背景には、自身も父から受け継いだ教えがありました。
「親が口出しして、親の言う通りにやらせれば、途中で止まってしまうこともある。でも、自分で決めたことなら、最後までやり切ろうとする」
実質的な経営判断は勤氏に任せ、2年後には社長の座を正式に譲る計画も固まっています。
「相談には乗りますが、あれせい、これせいとは言いません」
若い世代の声に耳を傾け、口は出さない。多くの中小企業が悩む事業承継においても、石川会長は着実に、次世代へとバトンを渡しています。

下請けからブランドへ —— ARASの成長を支えたD2C
「ARAS(エイラス)は、シンプルに言うと、割れない。でも、使いやすく、食体験を豊かにするブランド」
勤氏はそう表現します。2020年2月のテスト販売開始以降、ARASは着実に成長を遂げてきました。初年度の売上は1億円。その後も拡大を続け、現在では需要に供給が追いつかない状況にまで至っています。
成功の大きな要因は、最初からD2C(消費者直販)に軸足を置いたブランド戦略にありました。勤氏は、『D2C』に関する書籍を徹底的に読み込み、デジタル時代におけるブランド戦略を構築していきました。
「落としても割れない」という明快な価値は、インスタグラムなどのSNSを通じて視覚的に伝えられています。洗練された世界観と、確かな機能性。その両立を前提に、最初からD2Cで勝負すると決め、企画を詰めていきました。
この過程を支えたのが、金沢のクリエイティブファーム、secca(雪花)です。
勤氏と同世代のメンバーと、ほぼ毎日メッセンジャーでやり取りを重ね、何度も議論を行ってきました。時には海外出張にも同行してきたといいます。
勤氏が一貫して大切にしているのは、クリエイターとの対等な関係です。
「お金のためにやっているクリエイターさんは実は少なくて、多くの方は、自分のやりたい思いを載せてクリエイティブを作っています」
相手が本当にやりたいことを丁寧に聞き、自分たちは何をしたいのかを率直に伝える。そのすり合わせを重ねながら、歩み寄り、より良い形を探っていく。その関係性が、ARASの洗練されたデザインを支えています。
現在、ARASは売上の約半分をD2Cが占めるまでに成長し、次のステージへと歩みを進めています。
「D2Cで十分に成長してきた今、日本を代表する食器ブランドをめざし、少しずつ新たな取り組みを始めています。全国の百貨店や雑貨店との取り扱いも増えつつあり、本当にナショナルブランドになるための正念場に挑んでいるところです」
大手企業との取引も軌道に乗り、かつて下請けとしてものづくりに向き合ってきた企業は今、日本を代表する食器ブランドをめざす存在へと変貌を遂げつつあります。その先に見据えるのが、「売上100億」という次なる目標です。

さらなる成長のために、手放すもの
100億円という目標を明確に掲げたことで、経営の視座は大きく変わりました。
「100億宣言をしてから、いろいろなイメージが湧いてきました」
石川会長はそう語ります。
その過程で見えてきたのは、成長のためには既存のやり方を問い直し、時には手放す決断が避けられないという現実でした。
「捨てるもんは、山ほどある」
その言葉どおり、現在の成形工場を閉鎖し、新工場を建設する計画も進行中です。「中小企業成長加速化補助金」を活用して建設予定の新工場は、将来的な無人化や人型ロボットの導入までを視野に入れた設計です。すでに社内にはロボットをはじめとするデジタル技術が数多く使われています。
「失敗も含めて、小さなところからまずはやってみることが大切」
石川会長は社内のシステム導入に成功した秘訣を語ります。石川会長自身もコミュニケーションツールを積極的に使い、現在では社員全員が日常的に活用しているといいます。
勤氏もまた、こうした取り組みはトップが率先して行わなければ、社内に浸透しないと語ります。さらに勤氏は、「DX化の一丁目一番地」として、まずはコミュニケーションツールの導入が重要だと指摘します。これができない企業にDXは進まない——そう言い切ります。
この「小さな取り組み」を成功させるため、勤氏自身、家業に戻って以降、まず社内の信頼を得ることを何よりも重視してきました。そのうえで、勤氏はコミュニケーションツールの導入を提案。ツールの定着を確認した段階で、社内メールの廃止に踏み切りました。ロボット導入も同様に、小規模なものから段階的に進め、試行錯誤を重ねながら前進しています。
人材採用にも、明確な変化が表れています。ARASの認知度向上により、ローカルエリアである加賀市でも採用環境は着実に改善してきました。勤氏が求めているのは、従来の定義による優秀さではなく、AI時代における新しい意味での優秀さです。「素直で、本当に人としていい人」そして変化に耐え、やり抜く覚悟を持った人材です。
一方で勤氏自身は、経営者としてのマインドセットを厳しく問い続けています。
「100億宣言をして一番大きかったのは、マインドセットの変化です。ただ、まだ足りていないとも感じています」
100億円をめざすのであれば、さらに一桁上の1,000億の視座と意思を持つ必要があります。今の自分にはまだ圧倒的に足りない。そうした実感が、強く残っているといいます。
その不足を、勤氏は自分自身の問題として引き受けています。
では、その視座や覚悟をどう育てていくのか。勤氏が重視しているのが、実際に成長を遂げてきた経営者から学ぶことです。とりわけ参考にしているのは、ゼロから100億規模まで事業を育て上げたスタートアップの経営者たちです。彼らがどの段階でどんな壁にぶつかり、どのように乗り越えてきたのか。
さらに勤氏の視線は、その先にも向いています。100億規模までは、ある程度イメージできるようになってきた。だからこそ次は、100から1,000へとスケールさせる際に、経営者がどんな覚悟を持ち、どんな苦労を経験するのか。その領域まで腹落ちさせたいと考えています。
多様な経営者と会い、自分の視点を増やし続ける。その積み重ねによって、成長に対するマインドセットと覚悟を、本気で自分の中に築いていく。不断の内省と学びが、勤氏の経営者としての器を、次のステージへと押し広げつつあるのです。

次世代へのバトン「伝統を革新し、未来につなぐ」
勤氏は、ARASをともに作り上げたクリエイティブファームseccaとの協働に大きな意義を感じています。ARASは伝統工芸の枠を超えた、言い換えれば伝統工芸における固定概念を壊す側面もあるプロジェクトです。一方でseccaは、伝統工芸を一段上のレベルに引き上げ、世界に対して価値を生み出していく活動も行っています。勤氏はその活動を応援しながら、両軸をしっかりとやることを、自身のやりがいにしています。そして、山中温泉地区で培われた伝統に新たな息吹を吹き込むことで、次世代に繋いでいきたいと考えています。
同社が掲げる使命は「ものづくりを通して、人としての価値を表現する」こと。成長することで、地域に貢献し、次世代に、より良い環境を残す。既存のものを捨てる覚悟を持ち、新しい挑戦を続けることで、地域の産業構造にも変化をもたらそうとしています。
その想いを割れないうつわ 「ARAS」をはじめとした自社ブランドに託し、今、石川樹脂工業は新たな挑戦を始めています。
伝統工芸に新たな価値を吹き込み、100億企業へ。
石川樹脂工業は、伝統工芸を革新し続けながら、次の世代が「継ぎたい」と思える日本のものづくりの未来を切り拓こうとしています。
