北海道上川町。冬はマイナス20度にもなる雪深い地で2017年、上川大雪酒造株式会社は日本酒造りを始めました。それは、単に酒をつくるためではありません。「日本酒を軸に、地域をもう一度元気にできないか」。そんな思いから生まれた挑戦でした。
代表取締役社長の塚原敏夫氏は、2033年にグループ売上高100億円という目標を掲げています。それは理想を語るための数字ではなく、日本酒を起点とした地方創生モデルを、道内へと広げていくための指針です。
総杜氏の川端慎治氏とともに、雪深い土地で何度も立ち止まりながら、進む方角を確かめるように続けてきた酒造り。その歩みはいま、大きな転換点を迎えています。
常識やぶりの酒蔵移転から始まった、北の酒蔵構想
11月には雪が降り始め、ゴールデンウィークまで白い景色が続く。日本でも屈指の長い冬を抱える町、上川町。
塚原氏はフランス料理の著名なシェフ三國清三氏と共に、町おこしの一環として自治体等の要望に応え、2013年にレストランを開店しました。ところが、雪深くなり観光客も減少する冬の間、レストランは開店休業状態に陥ってしまいます。
冬場も従業員を解雇しなくていい事業、地域に喜んでもらえる事業はないか。悩み抜いた末に塚原氏が行き着いたのが、冬こそ稼働する酒造りという発想でした。
そんな時に出会ったのが、現副社長であり総杜氏(各蔵の杜氏を束ねる酒造りの統轄者)である川端慎治氏です。酒造りと真正面から向き合ってきた川端氏は、「最初にこの話を聞いたときは、何を言っているんだって感じでした」と傍らの塚原氏をちらと見ながら、口元に笑みをにじませてこう語りました。
ところが、最初の話を聞いてから次の話し合いまでの間に、実際に話はどんどん進んでいきます。
「これは本当に事業として始まるぞ、と。それならこんな面白い話はない、やってみようと思ったのです」
進んでいた構想とは、遠く1,000キロ以上離れた三重県で休眠していた酒蔵を移転するという、前例のない方法でした。こうして新設されたのが「緑丘(りょっきゅう)蔵」です。

「前例もなく、酒造免許の移転を含め、本当に大変だった」と塚原氏は振り返ります。国税局と銀行を何度も往復し、「酒蔵を作りたい」と訴え続ける日々。その繰り返しの末、ようやく「できるかもしれない」という空気が生まれ始めたといいます。
「お酒を作るプロフェッショナルである川端を巻き込むことで、2017年には上川大雪酒造は地域や自治体の助力もあってスタートすることができました」
やがて蔵が完成すると、この取り組みは大きな注目を集めました。全国から見学者が相次ぎました。塚原氏は隠すことなく、酒蔵の設計からすべて、何でも答えたそうです。
「うちと同じように、厳しい自然環境や地域の状況があっても酒蔵はできるんだ、ってわかれば、日本中で酒蔵を作ろうという動きが生まれる。私はライバルが増えるという考え方はまったくないのです」と塚原氏。
「日本酒業界の活性化につながる、そして地方創生にも通じることですから」と、川端氏もまた、酒造りのノウハウを多くの人々に共有しました。
やがて塚原氏は、十勝帯広の「酒文化再現プロジェクト」を知ります。古くには酒蔵があったものの長く途絶えていた十勝で、自治体・金融機関・大学や商工会議所などが連携し、米作りからスタートする壮大なプロジェクトが動いていました。
しかし、当初は酒蔵がなく、帯広で取れる水と米をわざわざ小樽まで持って醸造していたのです。ぜひ酒蔵をつくりたい、そこで塚原氏に白羽の矢が立ちました。
「実は最初は断っていたのです。地元の応援がなければ酒蔵の運営は成り立たない。そんな話をしているうちに、では帯広畜産大学の中に、地方創生のための生産基地をつくろう、という流れになった」
大学内での酒蔵。思ってもみない発想でした。教育の応援にもなり、醸造学を勉強できるとなれば学生の誘致にもつながる。塚原氏は、産官学と地域が一体化した事業に強く成長の芽を感じ、決断しました。
こうして、北海道上川町の「緑丘蔵」から始まった酒蔵は、帯広市の「碧雲(へきうん)蔵」、さらには函館市に「五稜(ごりょう)乃蔵」と、ダイナミックに北の大地に広がっていきました。さらに、川端氏は帯広畜産大学の客員教授として、日本酒造を担う次世代の育成も担っています。
次なる酒蔵は網走オホーツク。この4つ目の拠点は、100億宣言という明確な目標が生まれたことを起点に、いま新たに生まれようとしています。

4拠点目への決断——100億宣言が示した進むべき道
「今も、私は夢を見るんですよ、明日から日本酒が売れなくなる夢」
そう語る塚原氏の胸中にあるのは、多くの経営者が抱える根源的な不安です。ただ、その不安は立ち止まる理由ではなく、動き続ける理由でもあります。
地域創生の文脈で自治体をはじめとする関係者との信頼を築き、産学連携によって次世代の醸造家を育て、農業の発展にも力を注いできました。すべては、酒蔵という拠点を増やすためです。
では、上川町、帯広市、函館市に続いて、なぜ網走市なのか。
「網走は広い北海道でもニセコなどを別にすれば、真冬に観光客が集まる貴重な土地、なぜなら流氷があるからです」
網走は産業があり、観光地があり、人が暮らし、大学や研究機関も揃っています。オホーツク地域には東京農業大学のキャンパスがあり、北見工業大学もある。産学連携による人材育成や技術開発が可能な環境が整っているからこそ、網走を選ぶ必然性があったのです。
しかし、パンデミックが収束し、酒蔵を建てようとしたとき、壁が立ちはだかりました。
「建築資材の高騰もあり、当初より2倍以上の資金が必要になった。だからといって、そこで作ったお酒を2倍の値段で売れるのかといえば、そうではない」
それでも、どうしてもやりたい。
成長加速化補助金を活用すれば、建築資材高騰のなかであっても一歩踏み込んだ成長投資が叶って、酒蔵新設が現実的になる。そして、酒蔵を増やしていく過程で「100億をめざす」と宣言することが、地域にとっても従業員にとっても、明確な目標になったのです。
「100億という目標を掲げたことで、従業員にとっても、地域にとっても、めざすべき大きな目標が明確になった。数字があるからわかりやすいし、みんなが進んでいく方向をはっきりと見通せるようになった」
さらに、塚原氏自身の視点も大きく変えました。
「次の第2世代のことも考え、どうしたらいいかと具体的に考えるようになりました。たとえば大手スーパーへの流通、大手飲料メーカーのラインを借りてコストを下げ、うちのブランドで世界に輸出していく。ずっと先のことまで描けるようになったんです」
「進むべき方向が見えたというのは本当に大きかった。今の規模でできることは続けていたでしょうが、提携やM&Aといった選択肢が現実的に見えてきたのは、売上100億という目標が定まったからです」

人を信じ、未来を託す経営
「社長の仕事は、自分よりも優秀な人を揃えること」。塚原氏はそう言い切ります。酒造りは総杜氏である川端氏に一任し、経営の側から口を出すことはしない。人事制度を任されている担当者についても同様です。金融機関から転職してきたその人物の意見を尊重し、「頼んだよ」という距離感を保ってきました。
その結果、生まれたのが、大企業と同様の職種制度です。人事評価にランクを設けることには当初、戸惑いの声もあったといいます。しかし実際に導入してみると、評価と給与の関係が明確になり、組織はむしろスムーズに回り始めました。任せるだけでなく、任された人が力を発揮できる仕組みを整える。その姿勢が、社内に少しずつ浸透していきます。
こうした環境は、人材の集まり方にも表れています。北海道では、札幌以外の地域で人を集めることは容易ではありません。それでも上川大雪酒造の採用には、数人の募集に対して全国から40人以上の応募が寄せられました。ほとんどは酒造業未経験者でしたが、「地方創生」「地域に根ざしたものづくり」というメッセージに共感した人たちでした。
人を信じ、人に委ねる。そして、その人たちの未来のために、さらに高みをめざす。塚原氏の経営哲学は、地域密着という理念と深く結びつきながら、上川大雪酒造の成長を支えています。

地酒が、地域を束ねる力になる
川端氏は、北海道の日本酒づくりについてこう語ります。
北海道内で北海道産清酒の消費割合は2割程度に過ぎません。北海道は手頃なアルコール飲料の消費が多く、ペットボトルの酒類やパック酒など、道外からの安い商品がアルコール飲料のシェアの大部分を占めています。
「『自分は15代目』なんていう酒蔵の話はよく聞きますが、北海道の酒蔵には長い歴史がありません。その上、地元で地酒を飲む文化が根付かず、道外から安い酒が入ってくる。結果、ピーク時には道内に300ほどあったといわれる酒蔵が、11まで減ってしまったのです」
函館に酒蔵を作ったときのことを、川端氏はこう振り返ります。
「あれほど海産物がおいしい土地なのに地元の酒蔵がなかった。だから新しく蔵ができた時、本当に地域の方々に喜んでもらえた。地酒というのは、地域の食とともにあり、地域の人々に愛されてこそ文化として根付くものだと実感しました。食の豊かな北海道だからこそ、今ふたたび、酒蔵がどんどんできてほしいのです」
温暖化の影響もあります。過酷な環境だった北海道で、今や良いお米ができるようになった。道産米が北海道の日本酒づくりを後押ししてくれているのです。
塚原氏は100億をめざすことは、北海道のシェアの4割ほどを占める規模だといいます。ただし、酒蔵を増やしていくのには限界もあります。
「50億を超えたあたりから、大手のラインを使っての製造とか、セカンドブランドを手掛けることも考えています」
「でもね、本当に、未だに見るわけです。お酒がまったく売れなくなる夢を。昨日だって夜中の3時頃に目が覚めてしまって、売れないことを考えすぎて眠れなくて」
ふたたび、そんな話をする塚原氏の横で、「僕はその時間、蔵でもう仕事していました」とさらりと言い放つ川端氏。
深く、強い信頼関係で結ばれているからこその会話です。その川端氏は、窓の向こう、一面の白い雪を見つめながら、こう話してくれました。
「酒蔵って不思議なもので、自然と人や力が集まってくるんです。お酒をつくるだけじゃなくて、うちの場合は大学で教える場が生まれたり、酒蔵ができることで農業が活性化したり、若い人たちが醸造に興味を持って集まってきたりする。そうやって、気づくと周りから応援してもらえる存在になっていく。やっぱり地酒というのは、それだけ地域にとって大事なものなんだと思います」
そのためには、まず地元でしっかり地酒を売っていく。塚原氏も大きくうなずきました。
塚原氏がめざしているのは、酒蔵が本来持つ「地域を束ねる力」を最大限に活かし、日本酒文化を次世代へとつないでいく仕組みづくりです。
雪に閉ざされる季節が長い北海道で、方向を見失わずに歩き続けることは、決して容易ではありません。それでも塚原氏と川端氏は、100億宣言という確かな羅針盤を手に、いま自信を持って進んでいます。
その羅針盤が指しているのは、地域とともに育ち、次の世代へと手渡されていく日本酒文化の未来なのです。
