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2026年1月30日
100万人のファンと100億企業へ
── 伝統と革新が織りなす地域の未来
若鶴酒造株式会社 代表取締役社長 稲垣貴彦 氏

富山県砺波市に本社を置く若鶴酒造株式会社は、1952年から製造を始めたウイスキー事業を再生し、地元富山の地名から名付けた「三郎丸蒸留所」で創るジャパニーズウイスキーを事業の軸足に据え、日本酒中心だった事業構造をウイスキーへと転換してきました。その結果、わずか10年で売上高は4億円から17億円へと成長。現在では売上の約8割をウイスキーが占めています。

稲垣貴彦社長は2034年に売上高100億円の達成を掲げ、地域酒蔵の新たな成長像を全国、そして世界に示そうとしています。

クラウドファンディングが切り拓いた新たな道

若鶴酒造の歴史は古く、文久2年(1862年)に日本酒蔵として創業しました。かつては1万8,000石(1石=約180リットル)を誇る大規模な酒蔵で、高度経済成長期には敷地内に敷いた支線から鉄道で全国各地に日本酒を販売するほどの規模でした。ウイスキーなどの蒸留酒の生産をはじめたのは、戦後の米不足で日本酒が作れなかったのがきっかけです。1952年に製造を開始し、翌1953年に販売を開始したウイスキー事業は、販売開始1カ月後に火災に見舞われ、工場や設備のすべてを失いました。

「地域の方々が駆けつけて、後片付けを手伝ってくださった。そのおかげで半年もかからずに若鶴酒造は再建できたのです」

時は流れ、稲垣氏が故郷に戻った2015年当時。売上に占めるウイスキーの割合はわずか1割ほどでした。それが現在では、ウイスキー事業の売上規模が当時の約60倍に成長し、売上全体の8割を占めるまでになっています。

この劇的な成長の起点となったのが、クラウドファンディングを活用した、北陸最古のウイスキー蒸留所・三郎丸蒸留所の改修プロジェクトです。見学可能な「開かれた蒸留所」へと生まれ変わらせる挑戦でした。

当時はクラウドファンディング自体の認知度もまだ低く、新しい手法への戸惑いもあったといいます。

「クラウドファンディング?それ何?という感じでした。しかも当時はオール・オア・ナッシング型で、目標金額に達しなければ成立しない。これが失敗したら、もう後がないという覚悟でした」

それでも稲垣氏は、志を同じくする人々やウイスキーファン、地域の力を結集して成し遂げること自体に意味があると考えていました。

「そもそも蒸留所は、火災のあと地域の人々に助けられて復興した。もう一度、いろいろな方の力を集めて蒸留所を再生し、地域に恩返しをしたかったのです」

想いは実を結び、最終的に3,800万円を超える支援が集まりました。

「目標達成が決まった瞬間、本当に涙が出ました」

この成功は単なる資金調達にとどまりませんでした。支援者は、その後も三郎丸蒸留所の熱心なファンとして、今も応援し続けてくれています。

「その人たちを裏切れないという決意にもなりました」

現在、三郎丸蒸留所には砺波市の人口に匹敵する年間約4万5,000人が訪れています。

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160年の老舗が挑む“逆算の経営”

クラウドファンディングを通じてファンとつながり、事業の手応えをつかんだことが、稲垣氏に次の決断を促しました。それが「100億企業」を目指すという宣言です。

その背景には、強い使命感がありました。それは、全国の地域酒蔵が直面する構造的な課題に、ひとつの答えを示したいという想いです。

「酒蔵は、冠婚葬祭といった人生の節目に欠かせない産業、そして地域文化の発信地であり、雇用を生む中心的な存在でした」

「ところが今、多くの酒蔵が縮小を続け、ある意味、地域の重荷になってしまっている」 この状況を変えるため、稲垣氏は若鶴酒造を再生のモデルケースにしようと決意しました。

「若鶴酒造が100億企業として再成長できれば、全国の酒蔵再生のひとつの指標になれる。そうすれば、地域そのものをもう一度活性化できるはずです」

100億宣言は、社内の意識も大きく変え、100億達成に向けた部門横断のプロジェクトチームも立ち上げました。

「この規模を実現するには、非連続的な成長が必要です。そのために、到達すべき未来から逆算して、今何をすべきかを考えるようになりました」

いわゆるバックキャスト思考への転換です。

この決意を象徴するのが、若鶴酒造のミッション

地域に拠って、世界に立つ。
Rooted in the local, Standing out to the world.

という言葉です。

この地に深く根を張るからこそ、世界で際立つ存在になれる。この理念が、同社の成長を支えています。

そして稲垣氏は、100億はあくまで通過点に過ぎないと語ったのです。

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成長戦略の中核は「ストック型とフロー型の融合」

若鶴酒造の成長戦略の中核にあるのが、ウイスキーと日本酒という異なる事業モデルの組み合わせです。

「ウイスキーはストック型、日本酒はフロー型です」

かつての日本酒造りは、冬場に蔵人を季節雇用し、仕込んだ酒を1年かけて販売するモデルでした。大量消費の時代には成立していましたが、ピーク時と比べると日本酒の消費量は現在、約4分の1にまで減少しています。

現在、優れた酒蔵は小規模でも空調設備を整え、高回転で高品質の酒を造る方向へとシフトしています。若鶴酒造も2025年、このモデルへと大きく舵を切り再始動しました。

一方、ウイスキー事業では生産性向上のための施策を次々と導入しています。

「熟成庫には移動式ラックを導入し、樽のピッキング効率を向上させます。また、ボトリングラインではAIカメラによる検査や重量チェックを行うことにより省人化を図り、より創造的な仕事に人手を振り分ける計画です」

成長加速化補助金も活用しながら、攻めの投資により生産体制を着実に強化しています。

「ストック型とフロー型を組み合わせることで、よりサステイナブルな経営が実現します」

日本酒やビールといったフロー型の事業は、製造から出荷までのサイクルが短く、需要が減ればすぐに影響を受けます。実際、コロナ禍では飲食店の休業などで回転が止まり、厳しい状況に見舞われました。

一方、ウイスキーというストック型の事業は、寝かせれば寝かせるほど価値が上がります。短期的な需要変動の影響を受けにくく、長期的な資産として機能するのです。この2つを組み合わせることで、環境変化に強い、持続可能な経営基盤を築けるのです。

ストックとフロー、2つの異なる事業モデルを持つ若鶴酒造の戦略は、地域企業の持続的成長のヒントを示しています。

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三郎丸、世界へ。個から組織への転換

稲垣氏の視線は、すでに世界に向いています。若鶴酒造が造るスモーキーなウイスキー「三郎丸」を、世界ブランドに育てる挑戦です。

「当社は伝統的にスモーキーなタイプのウイスキー造りにこだわってきました。世界中の人に、三郎丸をスモーキーなウイスキーとして知ってほしい」

2020年には、国内蒸留所から原酒を調達し熟成・瓶詰めを行うボトラーズ事業を開始。現在は10カ所以上の蒸留所と関係を築き、将来を見据えたネットワークを広げています。

100億宣言をきっかけに、稲垣氏自身も経営者として成長を続けています。

「経営者にはストイックさが求められる。地域という場所で課せられた使命を、改めて意識しました」

特に力を入れているのが人材投資です。

「自分より一芸に秀でた人材を必ず採用すると決めています」

人材の採用とともに、人材を根本とした「組織」づくりが、100億達成には不可欠だと認識しています。

「私ひとりの力では20億円程度が限界です。でも100億をめざそうとしたら、個々の力を引き出し、チームとしてスクラムを組む必要があります」

チームを作り、組織を構築しなくては100億という目標はめざせないと気づいたと言います。 稲垣氏は、100億宣言後の自らの変化についても率直に語りました。

「ある意味、自分はワンマンな人間でした。しかしそこからさらに脱皮していかなければ、これ以上の成長はないと考えています」

世界ブランドへの挑戦は、経営者個人の変革なくしては実現できない。稲垣氏はそう信じて、組織づくりに邁進しています。

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砺波から世界へ、世界から砺波へ
「100万人が紡ぐ地域の未来」

未来は、もうすぐそこまで来ています。

オレンジ色のレトロなディーゼル列車が、重く鈍く粘る音を鳴り響かせながら砺波市三郎丸にある油田駅へ滑り込みます。車内から降り立つと、白と黒のコントラストが美しい三郎丸蒸留所、瓦葺きの屋根に土蔵造りの堂々たる大正蔵が目の前に広がります。

「駅にいちばん近い蒸留所なんですよ」と稲垣氏は笑顔を見せ、続けました。

山崎、余市——蒸留所の名がそのままブランドになるように。

「三郎丸が世界的なブランドになれば、この地も知られるようになる」

世界ブランド化への挑戦と並行して、稲垣氏には明確な地域ビジョンがあります。

「若鶴ファン100万人。それが目標です。100万人が、地方鉄道を使って三郎丸蒸留所に訪れる。そんな未来を描いています」

地域を走る城端線も氷見線も、2029年度をめどに「あいの風とやま鉄道」(第三セクター)に経営移管されます。蒸留所への来訪者増加は、地域のインフラ維持に直結します。

「地方にとって欠かせないインフラです。多くの人が城端線を利用してくれれば、地域のインフラを守れる」

「世界中から人が訪れるようになれば、富山空港の稼働率も上がる。新湊へのクルーズ船寄港も増えるでしょう」

稲垣氏の瞳には、かつての酒蔵の姿が映っています。

「江戸時代、酒蔵は地域の篤志家として私財を投じ、橋を架けるなど地域に貢献していました。酒蔵がコミュニティの中心だった。あの姿を取り戻したい。各地域にそんな酒蔵が再び生まれれば、日本全体が元気になっていく。そう信じています」

稲垣氏が語る時、ジャパニーズウイスキーへの情熱があふれ、酒蔵への想いがにじみ、そして土地への愛着が色濃く感じられる。100億という数字の向こうに見えるもの、それは地域酒蔵再生のモデルとなり、日本全体の地域創生に貢献するという、揺るぎない覚悟です。 かつて火災で失ったすべてを、地域に支えられて再建した若鶴酒造。 今度は、その恩を地域へ返す番です。

砺波から世界へ。 そして、世界から砺波へ。

100万人のファンが地方鉄道で行き交い、酒蔵が再びコミュニティの中心として輝く未来に向けて、挑戦は続いていきます。

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